自己紹介

圓山 省吾  maruyama shogo   1968年生

多摩美術大学 立体デザイン科プロダクトデザイン専修卒

ペレッテリア開業までの足跡。

父の仕事の関係で小学5年生で出会ったバッグデザイナー。
スポーツカーに乗って颯爽と現れる姿に憧れました。
バッグに憧れた?というより・・・
ともかく将来の夢はバッグデザイナーでした。

デザイナーになるには美大に入ることが最初の一歩でした。
一浪して入った大学時代の成績は大したこともなく
本当にデザイナーになれるんだろうか?と思っていました。
留年が当たり前の厳しい学科でしたが奇跡的に卒業。
卒業したもののデザイナーになれる感覚はありませんでした。

卒業後はOA機器や自転車などのデザイン業務に携わっておりましたが
本当にやりたいことはバッグ作りでした。
だから会社を転々とし、どうにも煮え切らない20代。
三十路が見えてきて焦ったところでようやく修行を決意。

ルンルンで始まったはずのバッグ作りの世界。
ところがバッグの世界はとんでもなく奥深く
何もできない、何も通用しない、何一つ役に立てることがない
夢と現実のギャップに狼狽えるばかりでした。

そんな私に師匠は辛抱強く基本中の基本を教えてくれました。
師匠が長年に渡って培った知識、技術を惜しみなく見せてくれました。
当時は辛く苦しい思いしかありませんでしたが
振り返ると宝物のような時間でした。

修行後に師匠も務めていたバッグメーカー
「株式会社ツカサ」で働くことになりました。
バッグメーカーでの仕事はデザインや作るだけではなく
営業、サンプル品の手配、量産品の仕様作り等々多種多様でした。
様々な仕事をさせて頂いたことで経験を積むことが出来ました。
決して楽な仕事でもやりたい仕事だけでもありませんでしたが
振り返ると修行時代と同じように宝物のような時間でした。

そんな時
父が病に倒れ、あっという間にの世を去りました。
強かった父を失った喪失感の中、くすぶっていた毎日。
完全に腑抜けになっていたと思います。

これではいけない

経験も浅く、知識も技術も持ち合わせていないのに
サンプル専門製作者として独立しようと決心しました。
独立と言えば聞こえはいいけど仕事を頂く先は未定でした。
今にして思い返すと本当に無茶苦茶な行動でした。

会社を辞めたい旨を伝えた私に対し
メーカーの社長は笑いながらこう言いました。
「やっぱりなぁ~お前は辞めると思ってたよ。」
「すみません・・・」
「ところでお客さん決まってるの?」
「いえ、辞めたら探します」
「だったらウチのやればいいじゃん」

なんとなんと会社を辞める私に対して
辞めた2日後から寝れないほどの仕事をくださいました。
会社の戦力になるかならないかの手前で辞めたのに
仕事をくれました。

お陰で様々なサンプルを作る機会を得ました。
でも実力がないから寝れない毎日。
色々な素材、作り方、形のサンプルをこなすことで
未熟だった作り手を育てていただきました。

体を壊すほど寝れませんでしたが
振り返るとやはり宝物のような時間でした。

師匠の川口さん、大沼社長、ツカサの皆様、たくさんの人の力を頂けたお陰で
感謝してもしきれないほどの宝物を頂けたお蔭で

2004年にペレッテリアを開店することができました。